広島カープの成功談と失敗談

プロ野球選手に見る成功談と失敗談 広島カープ編

プロ野球は昔から子供たちのあこがれの職業であり、その中でも成功したスターたちに憧れるものです。 しかしながら、多くの成功のかげには、何倍もの失敗談があるということを私たちはどうしても忘れがちになってしまうものです。

広島カープでの成功談は数多くありますが、現監督の緒方選手もその1人といっていいでしょう。 鳥栖高校からドラフト3位でカープに入団し、早くから期待を集めますが、度重なるケガが原因でなかなかレギュラーに定着できない日々が続いていました。また、1995年には母親が亡くなるという不幸がありましたが、悲しみを乗り越えその年に大活躍し、レギュラーとして定着。盗塁も40盗塁以上を記録するなど、打って走れるという緒方の代名詞の第一歩となりました。 その後も長打力もある1番打者として活躍し、現役引退後もついに監督にまでなり、プロ野球界で活躍を続けています。

失敗談としては広島に戻ってきた新井選手でしょうか。 広島時代は、その豪快な一発でファンを魅了し続けましたが、フリーエージェントで阪神へ移籍。それなりの活躍はみせましたが、本塁打数も激減し、阪神への移籍の難しさを思い知らされる結果となってしまいました。 新井選手にはまだまだ成功談として残るチャンスがあります。ぜひ頑張ってほしいものです。

実力のあるプロ野球選手の多かったカープ

広島東洋カープのファンが語るチームの成功談の一つが昭和50年の監督交代劇です。 この年、広島は球団創設以来初のリーグ優勝を成し遂げますが、この際に手腕を発揮したのがシーズン途中からルーツ監督に代わって指揮をとった古葉監督の采配です。 彼は現役時代の成績は目立つものではありませんが、卓越した野球理論と勝負勘に優れており、見事にチームを優勝に導いたのです。

この年、「赤ヘル旋風」という言葉も流行りましたが、甲子園球場で行われたオールスターゲームで当時の主力打者であった山本浩二と衣笠がそれぞれ2本塁打を放ったことも多くのプロ野球ファンに広島の躍進を印象付けました。 仮にルーツ監督がそのまま指揮をとっていたらその後のカープの歴史も変わっていたものと思われます。

結果的に古葉監督は昭和60年まで指揮をとり、50年に続いて54年、55年、59年と4度もチームを優勝に導いたのです。 鉄人衣笠を始め、山本浩二、高橋義彦、北別府学、大野豊など、多くの選手を一流に育てた功績も非常に大きいです。

近年、広島を応援する女性プロ野球ファンが増えていますが、当時のように優勝する瞬間を見てみたいと多くの人が願っています。

ページトップへ