DeNAベイスターズの成功談と失敗談
プロ野球選手にみる成功談と失敗談 DeNA編
プロ野球といえば、華やかな世界というイメージが強く、またスターも数多く出現し、子供たちが将来夢見るスポーツ選手の常に上位となっていることはいうまでもありません。 しかし、そんなプロ野球の華やかな世界の中で、成功よりもっと多くの失敗談が存在していることに気づいている人も多いことでしょう。
DeNAで成功談として語れるといえば、やはり三浦大輔投手しかいないでしょう。 投球をみてもわかるとおり、日本ハムの大谷投手のような豪速球があるわけでもなく、必ず三振の取れるすごい変化球の決め球があるといったわけでもありません。しかしながら、チームの低迷時期もただ1人懸命に投げ抜き、200勝まであとわずかのところまで迫っています。独特のスローボールで緩急をつけるピッチングや、針の穴を通すようなコントロール、そして堅実なフィールディングはどれも一級品であり、横浜でなければ、正直もっと勝利数も増えていたでしょう。阪神にかなりの条件を提示された際も、結局男気で残留し、またまた男を上げました。 一方、失敗談と言えば多村選手でしょう。
移籍したソフトバンクでもそれなりに活躍はしましたが、やはり横浜時代の豪快な打撃ではありませんでした。 DeNAに再度移籍し、自由契約となりましたが、これほどの人が退団時にファンに別れの挨拶もなく去らなければいけなかったことがいまだに理解できません。 色々ありますが、是非多くの選手に成功談を語れるよう活躍してほしいと願っています。
DeNAへの移籍成功談
久保康友投手は、松坂世代と呼ばれる1980年生まれで、2004年に自由獲得枠でロッテにプロ入りした最後のプロ野球選手です。 ルーキー年の2005年に4月24日の楽天戦でプロ初先発・初勝利・初完封を記録します。 最終的には10勝3敗という成績で、新人王に輝きました。
しかし、翌年以降は好不調の波が激しく、怪我も度重なり、成績が残せず、2009年にトレードで阪神に移籍します。 移籍した年は先発ローテーションの一角を担い、プロ野球史上最年少で全球団から勝利投手となるも、与死球や暴投が多く、制球面での不安を残しました。 2010年には投球回が200回に到達、14勝をマークし、リーグ最高勝率を記録します。
しかし、2011年、2012年は不調や怪我で二軍で過ごすこともあり、2013年には抑え投手の藤川球児選手の移籍に伴い、クローザーを任されますが、打ち込まれることが多く、5月で6度目の救援失敗を記録し、二軍に降格となります。 さらに怪我の影響もあり、復帰後はセットアッパーでの起用となり、この年先発としての登板はありませんでした。
シーズン終了後、FA権を行使し、DeNAへ移籍します。 横浜DeNAベイスターズは、2012年まで6年連続最下位、2013年にようやく最下位脱出を果たして5位になり、2014年こそはCS進出という期待も高まっていました。 久保投手は先発として12勝を上げ、最多勝争いを繰り広げ、シーズン終盤までのCS争いに大きく貢献しました。
翌年は成績を落としますが、21試合に登板し、8勝7敗を記録しています。 以上が、他球団への移籍によって先発投手として復活を遂げた久保投手の成功談です。