オグリキャップ
日本競馬を走った芦毛の競走馬
平成の時代に生まれた馬の中でも三強に数えられる名馬、芦毛の怪物と呼ばれた一頭がオグリキャップです。 この馬は生まれてまず地方で競走馬としての生活を始めますが、そこでの輝かしい戦績を見た佐橋五十雄は2000万円の価格を付け、もし中央の芝が合わなければ戻すという条件を付けた上でJRAへの移籍を申し出ます。
交渉を続けた末にオグリキャップはJRAに移籍をしますが、移籍後のデビュー戦であるペガサスステークスで勝利、毎日杯も勝利と幸先の良いスタートを切っていきます。 当時の制度では事前に登録をしていないとクラシックレースに参加することが出来なかったため皐月賞、ダービー、菊花賞は見送ることを余儀なくされますが、クラシック以外の重賞に参加して見事6連勝を打ちたてました。
その後のレースでも地方出身とは思えぬ凄まじい走りをつづけ、地方競馬出身ながらも名馬たちとの名勝負を繰り広げるその姿に競馬ファン以外の人も含めた大ブームを巻き起こします。 競走馬としてのピークが過ぎた6歳、1990年の有馬記念の優勝をラストランとして引退した芦毛の怪物は、現代の競馬界を語る上では欠かせない馬であることは間違いないでしょう。 それまで競馬に興味すらなかった多くの人を魅了する姿もあり、今日でもこのオグリキャップの名前は語り継がれているのです。